長崎山登り好きの登山日誌

沢山の山に囲まれた港町「長崎」。世界三大夜景にも選ばれた長崎の魅力と、長崎の歴史、山、海の自然を記録するブログです♪

江戸時代に起きた正当防衛の事例

こんにちは。お供です('◇')ゞ

 先日アメリカで、警察が逃亡する犯人に向かって発砲し、射殺してしまった事件がありました。

 今の日本ではそういった事件はほぼ見かけませんが、「犯科帳」には、正当防衛による殺人の事件が記されています

 当時は、普通に脇差や刀などを帯刀している者も多かったからでしょう。また「かたき討ち」も認められており、親や親戚が殺されて、幕府や奉行所などが犯人を取り逃がし、裁ききれなかった場合のみ可能でした。

 今回紹介する事件は、親戚関係のない、通りすがりの者による事件だったので、少々難航した事件となりました。

 

「正当防衛」

 「新大工町」で八百屋をしている「久左衛門」は2月4日に、「古賀町」に用事があり、古賀村に居住する、長崎にいた「善兵衛」と一緒に古賀村へ向かった。

 途中佐賀領の「馬之瀬」という所で、山賊風の大男が棒を近くに置き、道端の木株に腰かけていた。

 二人がその男の前を何気なく通り過ぎた所、男は棒を振り上げ、いきなり善兵衛を殴りつけた。久左衛門は、「狼藉か!」と振り返ると男は、次は久左衛門の左肩を殴りつけた。 

 さらに男は棒を振りかぶって来たので、久左衛門は脇差を抜き、男の片腕を切り落とした。そして、そのまま倒れた男をさらに首辺りを数か所切りつけた。

 そうこうしている内に起き上がった善兵衛も加わり、二人でトドメをさした。

そのあと二人は古賀村に向かい、近所の人々に事件のいきさつを語っていた。そこへ「佐賀領の役人」がやって来て、久左衛門をこの場に留め置き、翌5日に「佐賀附け人の野口新右衛門」が、長崎奉行所に届け出をだして、長崎奉行所に身柄を引き渡した。

 事件の概要を受けた奉行所は、過剰防衛に値するとし、下手人(死罪)と判断したが、前例がないため、幕府に伺った所、双方の武器の性格は考えずに、仕掛けられ命の危険性を感じた二人を救済するとの事で、「無構(かまいなしの無罪)」となった。

 

 現在では完全に過剰防衛として問題になりそうですが、二人は幕府に助けられ、命拾いしました。

 命の危険性がすぐそばにある時代だからこそ、そういった判決も必要になってくるんですね('ω')

 命を奪われる危険性が殆ど無くなった現代、少しづつ良い社会に成長したこの国は、改めて素晴らしいと感じる事が出来ました(^^♪

 

 

放火は大罪だった江戸時代

こんにちは!お供です('◇')ゞ

 江戸時代、木造の家が並んでいたこの時代は、放火は大罪として「火罪(火あぶり)」が科されていました。

今回は、江戸時代に起きた放火事件を一件紹介します。

 

「窃盗の為の放火」

 「肥前 大村」に住む,「九朗左衛門」(33歳)は、盗みの為に、長崎「小島村」の百姓「喜右衛門」の家に、1月22日の夜に放火した。

 しかし、夜回りしていた者につかまり1月25日、入牢となる。拷問にかけた所、盗みをして放火したと白状したので、江戸に伺い(幕府に報告して、どう処するか確認する事)火罪となった。

 

 

 この判決のポイントは、やはり放火犯に科される火罪の判決が下った事でしょう。

 もともと窃盗の為の放火ではあったが、盗みに関しては全く加味されていません。

 というのも、盗み自体も当時は大罪で、10両以上盗んだのであれば、即刻「死罪

になるほどの大罪でしたが、やはり放火の方を主罪として扱われたようです。

 幕府にも報告したうえでの火罪なので、長崎だけでなく、幕府も同じ判断基準だった事がわかります。

 一件火を放つだけでも、瞬く間に町中に広まってしまう時代の家々だったので、それに合わせた法律基準だったという事ですね。('ω')

 

 テクノロジーの発達と、コロナの影響で、また新しい社会構造に変わりつつあります。

ちゃんとそれに合わせた新しい法律、備えを一人一人考えていかなければなりませんね(;´・ω・)

 

もめがちなアメリカ人「江戸時代」

こんにちは。お供です('◇')ゞ

 

 ついこの前差別的事件により、アメリカでデモなどの揉め事がよく多く取り上げられています。

 人種の壁を乗り越えるのは難しいのか、まだまだ人種問題は無くなりそうにありませんね(;´・ω・)

 

江戸時代、「犯科帳」でも外国人との揉め事が多数起きていたみたいで、特にこの頃は殆どの人が言葉も通じない相手なので、普通の町民はかなり悩まされていました。

 

その中で今回は一つだけ紹介します!

 

「井戸端事件」

 安政6年 8月7日、飽の浦郷の「儀市、福太郎、為三郎」の三人が、畑の草取りに行き、昼食を食べに帰ろうとしていました。

 途中、船着き場の井戸端にアメリカ人が居ましたアメリカ人は井戸で服を洗濯していました。三人を見つけると、傍まで駆け寄り、色んな手真似をしながら話しかけてきた。

 3人はさっぱり分からなかったので、無視して通り過ぎようとした。

するとアメリカ人は、近くに落ちてあった薪を拾い、儀市を殴ろうとした。

 儀市はびっくりして逃げ出したが、アメリカ人はどこまでも追いかけてきて、次は道端にあった杭を引き抜いて殴りつけてきた。

 儀市は近くの家に駆け込み、助けを求めた。すると村役人たちが駆け込んできて、ようやくアメリカ人を追い払ってもらった。

 しかし、何故殴られたのか分からない儀市は、腹の虫がおさまらず、後から気遣ってやってきた福太郎、為三郎に助勢を求め、仕返しする為3人は井戸に戻った。

 アメリカ人はまだ洗濯しており、こちらに気付いていない様子だったので、儀市は

背後からこっそり近寄り、薪で殴りつけた。びっくりしたアメリカ人は、船着き場の海中に飛び込んみ悲鳴をあげました。

 それを聞きつけた製鉄所勤めのオランダ人が仲裁に入り、アメリカ人をバッテラに乗せ、本船の方に漕いで去っていった。

 

 しかし、この後も井戸端にアメリカ人が毎日のように洗濯に来ては、井戸に衣類を突っ込んだりサポンの汁を流したり、実りかけた稲穂などに遠慮なく衣類を乗せ、乾かすようになったので、そこの百姓たちや、飲料として利用していた人々は困り果ててしまった。

更には、棒や鉄砲などを使って、通行人や水くみに来た百姓を追っ払い始めたので、今後アメリカ人に限らず、外国人はこの井戸を一切使わないようにして欲しいと、代官に願い出た。

 

 

この事件に関しては、完全にアメリカ人に不義がありますが、言葉が全然通じないこの時代は、本当に苦労したんだなぁと思います(*_*)

 

今では、すべてとは言えませんが、他の国の人とのコミュニケーションが大分取りやすくなりました。だからこそ、何でも話し合いだけで上手くいくようになると良いですね('◇')ゞ

 

 

 

 

江戸時代、キリシタンの取り締まり役だった「長崎奉行」

こんにちは。お供です('◇')ゞ

 

 江戸時代、キリシタンを厳しく取り締まり、禁教政策をとっていた江戸幕府

 誰もが歴史で習った、棄教した証明として使われていた「踏み絵(絵踏み)」は、1620年代後半に長崎で始まり、踏み絵は長崎奉行が管理していました。

 そして、「宗門改め」が制度化されてからは、九州各地で絵踏みをする時は長崎奉行所からよく貸し出されていた。そのため、九州地方でキリシタンの疑いがあるものを捕らえたときは時は、逐一、長崎奉行所に連絡していました。

 

 「犯科帳」には、九州各地で疑いのある者が、長崎に連行されて取り調べられた記録が多々残っています。('ω')

 

しかし、意外にも実際にキリシタンだった者は記載がなく、結局容疑者どまりだったり、虚偽であった事しか記録がありません。

めちゃくちゃ厳しかったイメージがあったのにどういう事でしょうか?(;´・ω・)

実際にあった事件を一つ紹介します。

 

「酔った勢いで・・・」

 「北浦町」「井野本加右衛門借家」に住む「南合角右衛門」(23歳)は、酒の席で酔っ払って「俺はキリシタンだ!」と何度も言いふらしていました。

 大家さんや町内の人もそれを聞いた。酔っ払いの言ってた事とはいえ、下手に隠したり黙ってたら「連帯責任」として自らも罪を被る可能性もあったので、このことを「奉行所」に申し出た。

 取り調べた結果、全然キリシタンではなかったが、一応幕府に判決を仰いだ所、今回は酒に酔ったうえでのキリシタン発言」だったので釈放となった。

 無駄に奉行所の手を煩わせてしまったので処分されそうになったが、日ごろ悪い行いもなく、他人も巻き込んだわけでも無かったので、寛大な処置がとられた。

 

 このように、町の人々はキリシタンに関しては結構敏感に反応していた事がわかります。

 こういう社会的意識があったため、逆に表沙汰になる事が無かったのかも知れませんね('ω')

今は宗教の自由があり、本当に良い時代になりました。が、なんとなく宗教ではなく、別の差別意識がたまに見えたりします。(人種的にだとか、文化的にだとか)

  グローバル化が進んでいるこの時代なので、そういった意識が少しでも早く、無くなって欲しいなと願っています(^^♪

 

江戸時代における「不倫を強要」した事件

 こんにちは!お供です('◇')ゞ

 

 今話題になっているアンジャッシュ「渡部」さんの「トイレ不倫」問題・・・。

よく夫婦の縺れが、ニュースにも取り上げられている昨今ですが、江戸時代、「犯科帳」にもいくつかの男女の縺れによる事件がつづられています。

江戸時代では、「不倫」などの人として守らなければいけない「人倫」については厳しく処罰されていました、刑は様々で、「獄門」や「流罪」、それと痛そうなのが「鼻そぎ」(女性)、「陰茎切」(男性)などがあった

しかし、幕府側としてはなるべく双方の「話し合い」で解決する事が推奨されていました。不倫、人倫による事件は傷害事件同様、「遺恨」の残りやすい事件だからである。

 それでも解決しない場合に、奉行所に提出する事が求められていました。

「犯科帳」には不倫の事を「密通」と記されていて、これは「婚姻関係ないすべての男女の性的関係をさす」単語である。

 

 その中でも、とある男が、夫のいる女性に対し「密通」を強要した話を一つ取り上げてみたいと思います。( ゚Д゚)

 

「密通の強要」

 上筑後町の「八郎兵衛」(36歳)は、同町に住む「市左衛門の妻」に数回にわたり「密通」を申しかけていた。

 妻は全く応じず、何度も断っていた。がその事で腹を立てた八郎兵衛は、「刺し殺すぞ!」と脅してきたので、その事を夫の市左衛門にすべて話しました。

 市左衛門は八郎兵衛を呼び出し、「不義のいたりである、改心しろ」と再三注意し、話し合いによる解決を、町内を通してしようとした

 

 が、八郎兵衛は納得いかず、さらには「市左衛門と討ち殺す!」(逆ギレ)と申し、刺し違えようとしたので、町内のものが奉行所に訴えた。

 八郎兵衛は不義として、「五島の嵯峨島に流刑(島流し」となった。

 

 昔からいるんですねぇ・・・。なんというか、昔は女性に対してストレートすぎる記録も多々見受けられますが、この話に関しては最後はキレイにまとまった感があります。('ω')

いずれにしろ、今も昔も女性、特に妻は大切に。出来ない人は島流しですな(-ω-)/

 

 

昔から崖崩れに苦しまされる「長崎」

こんにちは!お供です('◇')ゞ

 

梅雨入りで、雨の多い季節となりました。(;´・ω・)

 

そんな季節に気を付けなきゃいいけない「がけ崩れ」。

特に長崎は山に囲まれているため、山を切り開いて作られている家も多いです。

ゆえに、ひとたびがけ崩れが起こると、重大な被害になりがちです。

 

ついこの前は、2020年6月11日にも「西山2丁目」でもがけ崩れが起きています。

去年にも長崎県北部にて、がけ崩れや浸水が相次ぎ、1万9千世帯、3万9千人もの人々に避難勧告が出されました( ゚Д゚)

 雨が多い日、台風が来た日などは毎年のようにそのような災害に見舞われてきました。

さらに昔、江戸時代「犯科帳」にも、がけ崩れの記録が残っていたので一つ紹介します!

 

「茂木村 山崩れ」

 茂木村「飯香浦名」は、三方を山で囲まれて、南は海を抜けた抜低という部落がありました。

 家は30件、166人の人々がそこに暮らしていて、みんな農業で生活をしていました。

 万延元年4月8日、朝から豪雨で終日までやむことなく降り続けた。山間から激しい流水が流れこまないよう、部落民夜通しその作業にあたりました。

 しかし、9日の朝、ものすごい震動と轟音とともに、縦150間、横25間に渡って山崩れが起きました。

 土砂や木々が一瞬のうちに崩れ落ち、家7件、小屋7件が押しつぶされ、死者24人、行方不明者9人と、13の牛馬が死んでしまった。また田畑にも土砂がかぶさり、それをどうにかしないと作物も取ることが出来なくなってしまった。

 どうにか復興する為にと、それに要する資金を集めようと皆で手を取り合ったが、物価高騰の折もあり、なんともならなかった。

 途方に暮れた部落の者達は、相談の末、銀6貫500目余りの拝借銀を代官に願い出ることになった。結局銀4貫まで減らされはしたものの、長崎会所から非常備銀を出すことを勘定所に認められた。

 

 自然の力は恐ろしいです。長崎だけではなく、日本は特に地震なども多く、いつ災害が起きてもおかしくない状況に常に置かれています。

 大事なことは、次いつ来るかもわからない災害の脅威に備えるため、少しでも災害の記録、被害の事をしっかり学んで行く事が大事なのではないでしょうか?('ω')

 

 

 

犯科帳の未解決事件「迷宮入りの強盗殺人」

こんにちは!お供です('◇')ゞ

今回は犯科帳の未解決事件を一つ紹介します!

 

(慶応元年)

 「本河内郷」で煮売り(魚や野菜、豆などを売る仕事)を生業としていた「菊重・喜市」の兄弟がいた。

 七月一日の晩、その一家の所に、しきりに戸をたたき、「煙草の火を貸してくれ」と言う者が訪れた。

 時間が時間だけに、怪しいと感じた菊重と喜市は、裏口からそっと抜け出し、近所に住む村番人の「国太郎」の家を訪ね、「怪しい男が家に来た」と知らせると、国太郎は棒を持ち、三人で兄弟の家に向かった。

途中、何故か喜市が暗闇の中ではぐれてしまう。

 

 国太郎と菊重が家に戻ると、賊はすでに表戸をこじ開け、家人を脅しつけている所であった。

 賊を見ると小ぶりの男で、頬に布か何かをして顔を隠していた。二人の姿を見た賊は、腰の脇差を抜き取った。

 菊重は怯えて傍には近寄れなかったが、国太郎は棒を振りかぶり、殴りかかった。

しかし、賊はそれをひらりと躱すと、脇差で国太郎を切りつけた。

万事休す!の状況だ。そこに国太郎の弟「千代太郎」が駆け付けた。手にした棒で賊の

膝を払った。

 だが賊はそれを巧みに飛び退き、そのまま家の外へ走り去った。すぐさま国太郎と千代太郎は追いかけたが、国太郎はすぐにうずくまってしまい、千代太郎は一人追いかけたが、暗闇で完全に見失ってしまった。

 

 千代太郎が戻ると、菊重の戸口は辺り血まみれで、血の跡を辿ると近くの道に国太郎が倒れていた。介抱したが、喉を切られており、それが致命傷で間もなく絶命する。

 

 一方そのころ喜市は、近くの崖の下で気絶しており、どうやら家に戻る途中で崖から転落していたようだ。恐怖と緊張からか、介抱し、回復した後もしばらくは震えて口もきけない状況だった。

 夜が明けて早々に辺りを探したが、賊の行方は知れなかった。菊重の家内はまだ何も盗られてはいなかった。

町役人の届け出により、代官が関係者一同と話し、吟味したが結局犯人は捕まらなかった。

 

 怖いですねぇ(;´・ω・)

 

 今の日本は他の国に比べて、強盗などの凶悪な犯罪は少ない方ですが・・・。

それでもまだまだ空き巣などの犯罪は現実に起こっていて、しかも中々捕まらないらしいです"(-""-)"

コロナ不況で犯罪に手を染める人が増えない事を祈ってます(;´・ω・)