昔から崖崩れに苦しまされる「長崎」
こんにちは!お供です('◇')ゞ
梅雨入りで、雨の多い季節となりました。(;´・ω・)
そんな季節に気を付けなきゃいいけない「がけ崩れ」。
特に長崎は山に囲まれているため、山を切り開いて作られている家も多いです。
ゆえに、ひとたびがけ崩れが起こると、重大な被害になりがちです。
ついこの前は、2020年6月11日にも「西山2丁目」でもがけ崩れが起きています。
去年にも長崎県北部にて、がけ崩れや浸水が相次ぎ、1万9千世帯、3万9千人もの人々に避難勧告が出されました( ゚Д゚)
雨が多い日、台風が来た日などは毎年のようにそのような災害に見舞われてきました。
さらに昔、江戸時代「犯科帳」にも、がけ崩れの記録が残っていたので一つ紹介します!
「茂木村 山崩れ」
茂木村「飯香浦名」は、三方を山で囲まれて、南は海を抜けた抜低という部落がありました。
家は30件、166人の人々がそこに暮らしていて、みんな農業で生活をしていました。
万延元年4月8日、朝から豪雨で終日までやむことなく降り続けた。山間から激しい流水が流れこまないよう、部落民は夜通しその作業にあたりました。
しかし、9日の朝、ものすごい震動と轟音とともに、縦150間、横25間に渡って山崩れが起きました。
土砂や木々が一瞬のうちに崩れ落ち、家7件、小屋7件が押しつぶされ、死者24人、行方不明者9人と、13の牛馬が死んでしまった。また田畑にも土砂がかぶさり、それをどうにかしないと作物も取ることが出来なくなってしまった。
どうにか復興する為にと、それに要する資金を集めようと皆で手を取り合ったが、物価高騰の折もあり、なんともならなかった。
途方に暮れた部落の者達は、相談の末、銀6貫500目余りの拝借銀を代官に願い出ることになった。結局銀4貫まで減らされはしたものの、長崎会所から非常備銀を出すことを勘定所に認められた。
自然の力は恐ろしいです。長崎だけではなく、日本は特に地震なども多く、いつ災害が起きてもおかしくない状況に常に置かれています。
大事なことは、次いつ来るかもわからない災害の脅威に備えるため、少しでも災害の記録、被害の事をしっかり学んで行く事が大事なのではないでしょうか?('ω')