江戸時代、キリシタンの取り締まり役だった「長崎奉行」
こんにちは。お供です('◇')ゞ
江戸時代、キリシタンを厳しく取り締まり、禁教政策をとっていた「江戸幕府」。
誰もが歴史で習った、棄教した証明として使われていた「踏み絵(絵踏み)」は、1620年代後半に長崎で始まり、踏み絵は長崎奉行が管理していました。
そして、「宗門改め」が制度化されてからは、九州各地で絵踏みをする時は長崎奉行所からよく貸し出されていた。そのため、九州地方でキリシタンの疑いがあるものを捕らえたときは時は、逐一、長崎奉行所に連絡していました。
「犯科帳」には、九州各地で疑いのある者が、長崎に連行されて取り調べられた記録が多々残っています。('ω')
しかし、意外にも実際にキリシタンだった者は記載がなく、結局容疑者どまりだったり、虚偽であった事しか記録がありません。
めちゃくちゃ厳しかったイメージがあったのにどういう事でしょうか?(;´・ω・)
実際にあった事件を一つ紹介します。
「酔った勢いで・・・」
「北浦町」「井野本加右衛門借家」に住む「南合角右衛門」(23歳)は、酒の席で酔っ払って「俺はキリシタンだ!」と何度も言いふらしていました。
大家さんや町内の人もそれを聞いた。酔っ払いの言ってた事とはいえ、下手に隠したり黙ってたら「連帯責任」として自らも罪を被る可能性もあったので、このことを「奉行所」に申し出た。
取り調べた結果、全然キリシタンではなかったが、一応幕府に判決を仰いだ所、今回は酒に酔ったうえでの「キリシタン発言」だったので釈放となった。
無駄に奉行所の手を煩わせてしまったので処分されそうになったが、日ごろ悪い行いもなく、他人も巻き込んだわけでも無かったので、寛大な処置がとられた。
このように、町の人々はキリシタンに関しては結構敏感に反応していた事がわかります。
こういう社会的意識があったため、逆に表沙汰になる事が無かったのかも知れませんね('ω')
今は宗教の自由があり、本当に良い時代になりました。が、なんとなく宗教ではなく、別の差別意識がたまに見えたりします。(人種的にだとか、文化的にだとか)
グローバル化が進んでいるこの時代なので、そういった意識が少しでも早く、無くなって欲しいなと願っています(^^♪