長崎山登り好きの登山日誌

沢山の山に囲まれた港町「長崎」。世界三大夜景にも選ばれた長崎の魅力と、長崎の歴史、山、海の自然を記録するブログです♪

もめがちなアメリカ人「江戸時代」

こんにちは。お供です('◇')ゞ

 

 ついこの前差別的事件により、アメリカでデモなどの揉め事がよく多く取り上げられています。

 人種の壁を乗り越えるのは難しいのか、まだまだ人種問題は無くなりそうにありませんね(;´・ω・)

 

江戸時代、「犯科帳」でも外国人との揉め事が多数起きていたみたいで、特にこの頃は殆どの人が言葉も通じない相手なので、普通の町民はかなり悩まされていました。

 

その中で今回は一つだけ紹介します!

 

「井戸端事件」

 安政6年 8月7日、飽の浦郷の「儀市、福太郎、為三郎」の三人が、畑の草取りに行き、昼食を食べに帰ろうとしていました。

 途中、船着き場の井戸端にアメリカ人が居ましたアメリカ人は井戸で服を洗濯していました。三人を見つけると、傍まで駆け寄り、色んな手真似をしながら話しかけてきた。

 3人はさっぱり分からなかったので、無視して通り過ぎようとした。

するとアメリカ人は、近くに落ちてあった薪を拾い、儀市を殴ろうとした。

 儀市はびっくりして逃げ出したが、アメリカ人はどこまでも追いかけてきて、次は道端にあった杭を引き抜いて殴りつけてきた。

 儀市は近くの家に駆け込み、助けを求めた。すると村役人たちが駆け込んできて、ようやくアメリカ人を追い払ってもらった。

 しかし、何故殴られたのか分からない儀市は、腹の虫がおさまらず、後から気遣ってやってきた福太郎、為三郎に助勢を求め、仕返しする為3人は井戸に戻った。

 アメリカ人はまだ洗濯しており、こちらに気付いていない様子だったので、儀市は

背後からこっそり近寄り、薪で殴りつけた。びっくりしたアメリカ人は、船着き場の海中に飛び込んみ悲鳴をあげました。

 それを聞きつけた製鉄所勤めのオランダ人が仲裁に入り、アメリカ人をバッテラに乗せ、本船の方に漕いで去っていった。

 

 しかし、この後も井戸端にアメリカ人が毎日のように洗濯に来ては、井戸に衣類を突っ込んだりサポンの汁を流したり、実りかけた稲穂などに遠慮なく衣類を乗せ、乾かすようになったので、そこの百姓たちや、飲料として利用していた人々は困り果ててしまった。

更には、棒や鉄砲などを使って、通行人や水くみに来た百姓を追っ払い始めたので、今後アメリカ人に限らず、外国人はこの井戸を一切使わないようにして欲しいと、代官に願い出た。

 

 

この事件に関しては、完全にアメリカ人に不義がありますが、言葉が全然通じないこの時代は、本当に苦労したんだなぁと思います(*_*)

 

今では、すべてとは言えませんが、他の国の人とのコミュニケーションが大分取りやすくなりました。だからこそ、何でも話し合いだけで上手くいくようになると良いですね('◇')ゞ