長崎山登り好きの登山日誌

沢山の山に囲まれた港町「長崎」。世界三大夜景にも選ばれた長崎の魅力と、長崎の歴史、山、海の自然を記録するブログです♪

江戸時代の長崎の生活模様がつづられた「犯科帳」

こんにちは、お供です('◇')ゞ

 

今回は長崎の「犯科帳」についてのお話です。

 

時代劇や文庫本などにもとりあげられているこの「犯科帳」ですが、江戸時代200年にわたる長崎奉行所の記録であり、1666年から、1867年までの刑事判決が記載されています。

 

原文の文章については、「書役」御家流で記され、書き始めから書き終わりまで一つの「型」があります。

 

御家流とは鎌倉時代に京都で生まれた書体で、当時の幕府が「公文書」にはこれを用いることとしました。

原本は全145冊で、漢文のように殆どが漢字で記されています。

 

現在は「森永種夫」氏が約2年の月日をかけて浄書された「犯科帳」全11巻にて刊行されています('ω')

 

戦国の時代より長崎は、キリシタンの街」「貿易の街」としての地位を確立しており、江戸時代のキリスト教弾圧によって取り締まりが行われましたが、それでも貿易の街として唐蘭2国の貿易が盛んに行われていました。

 

そういうこともあり、この「犯科帳」の多くが「抜荷」といわれる「密貿易」の取り締まりで、「密貿易」では薬、衣類の取引が多かったといいます(;´・ω・)

方法としては様々で、二重底の船に隠してるものや、唐人屋敷などにある船の「修理場」を利用したりと多様である。

もちろん警戒は厳重で、唐人に近づくことも難しかったため、時には「役人」「通詞」を買収したり、「遊女」を使ったりしていたそうです。

 

「犯科帳」には、人々がどういった生活をしていて、どのような考えを持っていたかが良く書かれていて面白みがあり、

時には罪人の白状したそのままを記載されていたりもして、結構生々しく記されたりもします。

 

罪状が重いものから、「お咎めなし」になったものもあったりしますが、それぞれに物語があって、読んでいると色々考えさせられました。

次回からその中を少し紹介できればなと思います(^^♪